90's Best


Nirvana「Nevermind」(1991)

90年代ロックシーンのみならず、ロック史に刻まれる程極めて重要で圧倒的な爪痕を残した、Nirvanaのメジャー初作。ロックに於ける彼等の、と言うかフロントマン、カート・コバーンの歴史は波乱万丈で、それはドラマと呼ぶには余りにリアルで悲痛だった。

しかし、その音楽の価値は未だ微塵も揺らがない。時代に残る最大のアンセム、"Smells Like Teen Spirit"は勿論、ロック・チューンとして完璧と言える"Breed"、ライヴでは常に披露された"Lithium"等、圧倒的に非凡なソングライティング。

カートは94年に自殺、その原因は定かではないが、スターダムに苦しんだ事は確か。伝説と呼ぶには余りに人間的で、それが紛れもないカートの人としての姿だった。



Radiohead「OK Computer」(1997)

一介のUKロックバンドとしてスタートしたレディオヘッドだが、その彼等がここまでの作品を作り上げ巨大になるとは、当初だれが予想しただろうか。人間としての凄まじい苦悩と向き合ったボーカル、トム・ヨークの資質が最大限に発揮されたのが、紛れも無い本作だった。

混乱と狂気が具現化した"Paranoid Android"、激しい自虐が逆に癒しさえ湛えた"Let Down"、一般人の安易で冷酷な幸福を「抗生物質漬けのブタ」と断罪する"Fitter,Happier"。

本作で表現した彼等の音楽は、余りに混沌としていて凄まじい闇を所有していた。それこそがこの時代に打たれた楔として、永遠に残る物だった。


Red Hot Chili Peppers「Blood Sugar Sex Magik」(1991)

ミクスチャー・ロックの先駆けとして、80年代から活動していたレッド・ホット・チリ・ペッパーズの90年代に出した決定打。ファンク直系のリズム感と飛躍した楽曲のポピュラリティで、彼等は90年代ロックシーンを牽引する存在となった。

メンバーそれぞれの個性的なキャラに加え、叩き出されるグルーヴは唯一無二。"Give It Away"はライヴでも定番の超名曲で、"Under The Bridge"の様なメロウなバラードを書けたのも彼等の飛躍。

今も尚トップ・バンドとしての存在感を示す彼等だが、浮き沈みあれどたゆまぬ創作活動を続けて来たからこそ、彼等でしか見えない風景があるのだろうと痛感する。


My Bloody Valentine「Loveless」(1991)

シューゲイザーと呼ばれるロックムーヴメントに於いて、その代表格として常に語られるマイ・ブラッディ・バレンタインの代表作。そのドリーミーでドラッギーなギターとボーカルの揺らぎは、彼等でしか出し得ない物なのは間違いなかった。

楽曲の質も数ある同系バンドの中では圧倒的。"Only Shallow"で鳴らされるギター・オリエンティッド・ロックとしての確信、"Soon"による終幕はロック史に残る記念碑的瞬間。

結果的に彼等はシューゲイザーというシーンを導きつつ、それに捉われる事が無かった。そんな解脱的でさえあり、非凡な才能が極まったバンドだと断言し得るのだ。



Nine Inch Nails「The Downward Spiral」(1994)

90年代最大の苦悩、ナイン・インチ・ネイルズの自身最高のヒット作。今作で刻まれるコラージュされたボーカル、エフェクトで歪められたギター、凄まじいインダストリアルノイズ等、中心人物トレント・レズナーの偏執的狂気がぶちまけられた様相はただ恐ろしい。

それでも、ソングライティングはやはり最高レベル。"March Of The Pigs"のストレートなビートと暗雲な疾走感、"Closer"の中毒になるダンスロック的リズム、最終曲"Hurt"の孤独な悲壮感。

トレントは時代の寵児となるまでに登り詰めたが、ここに刻まれた苦悩こそが彼の本質。そんな「自己破壊人間」は永遠に闘い続ける運命にあるのかも知れない。



Smashing Pumpkins「メロンコリーそして終わりのない悲しみ」(1995)

ロック・シーン最大のイコン、ビリー・コーガン率いるスマッシング・パンプキンズの大作二枚組。とかくビリーのフロントマンとしての才能と苦悩がクローズアップされる彼等だが、そのキャリアの最も充実していたと言える瞬間が、正にこの作品だった。

"Tonight,Tonight"のドラマティックで普遍的とさえ言える世界観、"Bullet With Butterfly Wings"のギターロック的な力強さ、"1979"の余りに素晴らしいメロディ、"X.Y.U."の破壊衝動。

全てが余りに完璧で、それ故のフラジャイルをも抱えていたバンドだった。ビリーは結局、メンバーが去って尚スマパンとしての影を追い続けた。



Rage Against The Machine「Rage Against The Macine」(1992)

ラップとロックの融合、それを最も有効な形でシーンに叩き付けたバンド、それがレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。1stとなる本作だが、その勢いとパワーは他に類を見ない程だった。特にボーカル、ザック・デ・ラ・ロチャのアジテートとカリスマ性は甚大。

その楽曲は、ロックとして余りに過激で高性能だったとさえ言える。"Bombtrack"は彼等の名詞代わりの強烈なオープニングナンバー、"Killing In The Name"は発禁リリックも凄まじい代表曲、そして最終曲"Freedom"の咆哮。

彼等は当時のロックの中でも際立って政治的なバンドでもあって、時にライヴで聴衆が暴徒と化す物もあった。その存在感は正に唯一無二。



PJ Harvey「Rid Of Me」(1993)

フィメイル・ロックの中でも、圧倒的な個性と存在感を放つのが、他ならぬ彼女、ポーリー・ジーン・ハーヴェイ。本作は彼女の出世作と言って良い作品で、強烈なインパクトを放っている。彼女が最もオルタナギターロックに接近した作品と言っても良い。

冒頭、タイトル曲のか細い囁きから、一転轟音にぶちのめされる瞬間、"50ft Queenie"の性急なスピード感等、ポーリーの円熟期に入る前の最も過激な時期が、正にこの作品の頃だと言って間違いない。

女性がギターを掻き鳴らしロックを歌う、それだけで正にロックを感じる確信的な瞬間が、この作品には詰まっている。未だ精力的な活動を続けるシンガー。


R.E.M.「Out Of Time」(1991)

80年代から90年代に掛けてのインディ・シーンの中で最大の成功者と言えば、このR.E.M.ではないか。カレッジ・チャートで地道にキャリアを重ね、この90年代初作で圧倒的なポピュラリティを獲得、自身最高セールス、グラミー賞受賞等の栄冠を手にした。それは、時代の必然だった。

PVも芸術的な"Losing My Religion"はバンドの代表曲であり、時代に逆行する能天気さが賛否を生んだ"Shiny Happy People"、米国の荒涼が表出したかの"Country Feedback"。

楽曲のクオリティは頂点で、代表作と呼んで差し支えない完成度だが、オピニオンリーダー的に扱われる反面、純音楽志向が根だと感じるアメリカトップバンドである。


Beck「Odelay」(1996)

「俺は負け犬」と歌って鮮烈なデビューをした、ベックの諸説あれど代表作とされるアルバム。ここで行われている実験の数々は、ベックというアーティストのアイディアのほんの一端でしかない。後に、R&B、フォーク等脇道に逸れまくる作品を作りつつも、一周回ってここに戻る志向がベックの特異さ。

"Devil's Haircut"の殺人鬼的グルーヴ、"Where It's At"のHip Hop的ノリを存分に活かした冒険心等の、代表曲のみならずアルバム全編に漲る才気は圧倒的。

このミクスチャー精神を好むファンが多い為、反動で支持されない事もある作品だが、後のキャリアまで撒かれた萌芽は、確実にここに根づいている。


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